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Vol.06 2015/6/10

 前回の通信で予告した「鬼火」の装幀・造本のご紹介の前に、オリジナル完全版のテキスト作成の基となった「鬼火」の生原稿についてちょっとだけ補足説明を。

 横溝正史が昭和9年(1934)の秋から冬にかけて執筆した「鬼火」の生原稿は、現在、正史の次女である野本瑠美さんが保管されています。今回の出版に当たっては、野本さんのご厚意によりこの貴重な原稿を閲覧させていただき、「新青年」掲載のテキストと照合することができました。四百字詰め156枚の原稿は前篇と後編に分けて丁寧に綴じられており、一枚の欠けもありません。一部に若干のヤケはありますが、シミや汚れはほとんど見当たらず保存状態は驚くほど良好でした。薄いブルーのインクで書かれた文字は小振りで、原稿用紙のマス目をはみ出さぬよう一字一字が几帳面に収められています。晩年の正史の作品の清書係を務めた野本さんによれば、「晩年の字とはまったく違っていますね」とのことですが、こちらは原稿に直しの跡がほとんど見られないのに、まずびっくりしました。また、読者にこう読んでもらいたいという漢字にはその都度、丁寧にルビが付けられています。

 このように、編集者にとっては涙が出るほど有り難いきれいで読みやすい原稿なのに、前回の通信でもご紹介した通り「新青年」に掲載されたテキストには、不注意によるものとしか思えないミスがゾロゾロ出てくるのです。例えば「ぴったり」とあるのが「べったり」になったり、「挫傷」とちゃんと書いてあるのに「打傷」にされてしまったりなどというのはまだ序の口。これ以上は前回の繰り返しになるので省略しますが、こうしたミスの多くは、初刊の春秋社版(昭和10年9月)以来、その後のすべての刊本で引き継がれています。今回の藍峯舎版「鬼火」では、このような誤記、誤植、脱落等を生原稿に基づいて(一部は改稿版も参照)訂正いたしました。この名作の真の姿を初めて伝えるものとして、あえて「オリジナル完全版」と銘打たせていただく所以です。

 さて、テキストの話はこれくらいにして、本書の装幀・造本のご紹介を。
 これまでの亂步シリーズの3冊はいずれも黒の貼函入りで、表紙に使用されるクロスも基本は黒ということで、本全体のイメージは黒で統一されておりました。ところが第四弾となる今回の「鬼火」では、貼函も表紙のクロスも一変して「赤」となります(背革のみが黒)。しかも表紙のクロスは「紬」のような風合いを持ち、これまでと異なるテイストを醸し出しています。また函や布表紙に入っているタイトルは印刷ではなく、箔押しとなっており、ここでもややこしい手間と時間をかけております。その成果については言葉で説明するより現物をご確認いただくのが一番なので、準備が整い次第、書影をホームページにアップの予定です。どうぞご期待ください。

 最後に今回の藍峯舎版でフィーチャーされる竹中英太郎の挿画についても一言。原画のニュアンスや微妙な濃淡を可能な限り再現できるよう、本書では挿画のページは別丁として、本文とは別のハイグレードの用紙を使用しています。また印刷についても、今回はさまざまな模索を重ねた結果、当初想定していた高精細印刷ではなく、ダブルトーン印刷(二色刷)を採用し、最良の結果を得ることができました。二人の有為な男を滅ぼす「ファムファタル」お銀の妖艶な姿態を生々しく描き出した竹中の名作が、そのディテールまで完璧に再現されています。ほかの刊本でこの挿画を目にされた方も多いでしょうが、八十年の時を経たとは思えぬ鮮烈な妖気を、本文と一体となったこの藍峯舎版であらためてご確認いただければ幸いです。

 というわけで、藍峯舎版「鬼火」オリジナル完全版の予約開始は6月20日からとなります。恐縮ですがもう少しだけお待ちください。

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